なぜ「いいんちょ」でなければダメなのか。

世の中にはギャルゲーというものがあり、それにはいろんなタイプの女の子が数多く登場する。
なんでいろんなタイプの女の子がいるかといえば、ぶっちゃけた話、そうすればユーザーは一人くらい気に入るだろうというメーカーの思惑があるから。
そのこと自体は否定しようとは思わないのだけれど、出てくる女の子がどうも順列組み合わせで作られているような気がして、オレはどうも座りが悪いと感じてしまう。ユーザーに媚びるために性格・特徴という記号を埋め込まれた女の子達。
とはいうもののオレはWin版の「To Heart」しか知らない。PS版もやってないしアニメ版も見ていない。つまり「To Heart」をギャルゲーどころかエロゲーとして認識して買ったんだ。
座りが悪いなどと言いながらも、そんな女の子に媚びてもらいたくてゲームをした訳。

ところが「いいんちょ」は違ったんだ。

いいんちょ」は「関西人」で「優等生タイプ」の「人付き合いの悪い」「眼鏡っ娘」という記号を埋め込まれているキャラクターなんだな、最初オレはそう思った。
でも「いいんちょ」はそんな特徴でオレに媚びることは無かった。「いいんちょ」には自分がそうである必然があり、そうする意志があった。つまり「いいんちょ」はまっすぐ前を見て生きていたんだ。

いいんちょ」は「友だちのところに帰りたい」という思いを抱えるキャラクターとして生まれた。だからここではないどこかからやってきた女の子である必要があったんだ。

いいんちょ」は「友だちのところに帰りたい」から多くのものを犠牲にしてまでも必死で勉強しなければならなかったんだ。

そんなにも友だちの事を大切に思っている「いいんちょ」は、友だちと離れる事の辛さを誰よりも知っていたんだ。
だからこそ、もうそんな思いをしたくなくて、高校では友だちを作らないと決めたんだ。
だからこそ、高校では一番自分の事を気にしてくれている「俺」に少し心を開いた時でも、「俺」のことを優しく拒絶したんだ。

大切な思いがあって、その思いを守るためにいろんなものを犠牲にして、でも犠牲にしてるなんて思った途端辛くて潰れてしまうから、そう思うことまで犠牲にして、一人ぽっちで健気に生きていく「いいんちょ」。

そんな「いいんちょ」だから、人に媚びることなどせずに、意外とさばけているくせに頑なで、うるさいのが嫌いなくせにときに「げしげし」したり、矛盾を抱え込んでなお高校2年生の女の子として「自然」に生きていた。

そんな「いいんちょ」だから、オレはずーっと気になっていて、そして気がついたら大好きになっていたんだ。

「自然」だったから好きだ、というのは人を好きになる理由としては変なのかも知れない。実際問題、人間はやっためたらに他人の事を愛したりはしない。
いいんちょ」だって「俺」のことを好感をもって接してくれたけれど、あの電話の事がなかったら、卒業の時には、あの寂し気な微笑を浮かべて別れていたのかも知れない。
「神戸に来る時には連絡してや。」
とか言って。

でも、友だちの事を大切に思う、そんな普通の事を普通にしてる(でもみんなからは変と思われてしまう)「いいんちょ」にオレは出会って、オレはそんな「いいんちょ」の事が好きになったんだ。 そして、ちょっとした偶然で「俺」は「いいんちょ」の恋人になった。

それで良いのだとオレは思う。

誰かを好きになるのに理由なんか無い。

いいんちょ」を好きになるのには理由なんかいらない。
でもその「いいんちょ」が「いいんちょ」でいられるのは、とって付けたようなキャラクター設定なんかのせいじゃなくて、「いいんちょ」の中に大切な思いがあるからなんだ。