攻略本の意義

自分は御覧のようにゲーム、しかも攻略本周辺のところで飯を食っているのですが、そんなところから見ても、攻略本の存在意義は揺らいできていると感じます。

皆さん論じられていることですが、その一番の原因はインターネットです。良質な攻略サイトがどんどん増えてきていますし、以前に比べて圧倒的に多くの人がそのサイトにアクセスできる環境が整っています。
それらサイトの個人運営の不正確さを差し引いても、そのスピードと修正の際のフットワークの軽さは、書籍という重厚長大なメディアにとっては脅威です。
一方、それでも攻略本の必要性を感じているユーザーはいて、そのほとんどの方が攻略本の「手軽さ」をメリットに上げます。コストパフォーマンス、ランダムアクセス性、閲覧性、携帯性において、まだまだ本の方がPCまたはインターネットより上という訳です。
ただ、そうするとユーザーが攻略本に感じるメリットは攻略「本」であって「攻略」本ではない、つまり極端な話、ネットの攻略ページをプリントしてコンパクトにまとめられれば攻略本はいらないという結論になりますね。それは業界の人間として非常に厳しい、寂しい、おまんまの食い上げです。
(本当は、攻略本の存在意義を語る前に「攻略本の必要なゲーム」というものについて検討する必要がありますが、それはまた別の話としましょう。)

それでは本というメディアの特性だけでない、攻略本の魅力とは何なのでしょうか?現在その中心に据えられているのが「公式」というものではないでしょうか。つまりそのソフトメーカーでなければ出せない諸々です。
たとえば、ゲームプレイ中にはプレイヤーに見えない隠し数値、ゲーム中では判らない世界観設定、決定前のキャラクターラフ画、開発者のインタビュー、といったものです。これらの要素を知らないとゲームを十分に楽しめないのではゲームに問題がありますが、これらを知る事でよりゲームを深く楽しめるのであれば、それは攻略本を出す価値があると思うのです。
オリジナルイラストやインタビューについては、これは公式でないと出せない素材ではありますが、ゲームそのものに関する事ではありません。攻略本本来の姿を考えるなら、ゲームの根幹に関わる情報を公式ならではのやりかたでプレイする喜びをそがずに開示できれば、そこにこそ「攻略本」の価値が見いだせるのではないでしょうか。

そんな事を考えていると自分は思い出す本がありまして、それがバランス・オブ・パワー デザイナーズ・ノートです。
これはゲームデザイナーであるクリス・クロフォードが、米露超大国の冷戦状況の地政学を描いた自作のゲーム『バランス・オブ・パワー』におけるゲームデザイン論を書いたものなのですが、難解で知られたこのゲームの(文字どおりの)世界観、ゲームをコントロールするアルゴリズム、基本戦略、制作過程、そして自身によるリプレイまでを収録していて、ゲームの魅力を余す事無く伝えながら、実際のプレイの面白さを損なう事がありません。
自分にはこの本は攻略本の進むべき道の一つを示しているように思われるのです。

現在は非常に入手が困難のようですが、ゲームデザイナーを志す方、ゲーム攻略本の編集に関わりたい方には是非なんとかして一読することをお勧めします。