日記&『ゲーム批評』批評

明日の朝やっつけようなどと書いた場合、大抵そうなるのだが、やっぱり水曜日の朝には書類を作れず、そのかわり、今抱えている仕事の書類の束を抱えて会議に臨んで、いかにも仕事をやってるような振りをしたり。

とにかく、木曜日、木曜日である。この日に3年越しのファンブックに関する懸案で、現在自分が引いているババをなんとかやっつけなければならない。木曜日にはこのファンブックに関する打ち合わせなのだが、この本、あんまり編集者が仕事しないので3年も経ってしまい、関係者大激怒の一冊なのだった。じぶんはその編集者の現在の(そして願わくば最後の)お守役であり、
「は〜い、まず本を作るには台割が必要だよね〜、あ〜、それから君が作業やってますとか言っても、もうだーれも信じないから、編集長といっしょに現実的なスケジュール表作って出してね〜。じゃ〜、ゲラチェックしてみようか〜、うーん、このページだと誰に確認が必要かな〜?」
と、はらわた煮えくりながら頭の中で叫びつつ、実際にはなだめすかしつつ編集者に仕事させて早1年である。もーやだー。

とりあえず、会長へのプレゼンの一時間前に最後の事前打ち合わせを、その担当者と編集長と行う。これでやる事は全部やったので、あとは、編集長にウチの会長に確認事項を決定してもらう会議が上手くいく事を祈るばかりであったのだが、はたして、会長も最近機嫌が良いせいか打ち合わせはスムーズに終了。やったー、これで作業が進められる。とはいうものの会長からいろいろ宿題は課せられたりしたのだが。

そんなこんなの合間に一周年記念やらイベントやらのグッズの監修作業を色々とやる。
その日に初めて企画を聞いてデザイン見て、その日が締め切りってどーゆー仕切りだー、とか。

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金曜日に会社に行く途中で書店で『ゲーム批評』を手に取る。攻略本特集とか書いてあるので、どれどれと買ってみて、内容によっちゃライターとして自分を売り込んでみるかなどとスケベ心を持って読んでみるが、総括部分のあまりのレベルの低さに腰が砕ける。以下一番酷いところを引用。


(前略ってゆうか、現在の攻略本を巡る困難な状況と理想の攻略本像がひとくさり書いてあって)
以上の考えは、すべて制作者ではなく、読者の立場で考えたものだ。つまり攻略本は読者の立場に立って考える事が重要だと思われる。ならば、読者に一番近い存在である、ゲームの制作スタッフがゲーム本編と一緒に攻略本を作るのが最適ではないか。
(後略)

なんだこりゃ?
第一センテンスと第二センテンスが、どういう理論で「つまり」という順接でつながってるのかも理解に苦しむが、百歩譲れば「攻略本はユーザーニーズに合っている必要がある」という結論部分は正しいと思うので納得しよう。だが、なんでそこから「読者に一番近い存在である、ゲームの制作スタッフ」が攻略本を作るという提案になるのかさっぱり判らない。多分、このライターの中では攻略本に情報規制をしたりする体制が諸悪の根源で「ゲーム会社営業=悪、ゲーム開発者=正義」といった、素敵に素朴な図式があるんだと思うが、プロデューサーとディレクターの両者が必要であることが理解できないような人間に、ゲームの二次商品の市場を理解するのは難しいと思う。
さらに「ゲームの制作スタッフが資料用データを作ればゲーム開発の初期段階から攻略本が作れてミスも減る」といった指摘は明らかにゲーム開発の現場を知らない発言で、取材を怠った妄想記事と言われてもしょうがない。

ちなみにほとんどの場合、開発は攻略本の内容をチェックするものです。多分、ライターは攻略本の企画自身をゲーム開発者が立てれば理想の攻略本になると言いたいのだとも思うが、ディレクターがそんなに客観的になれる訳もないので、そんなことしたらいつまで経ったって攻略本なんか完成しません。だいたい取説だって別の人間が作るもんなのに。

ゲームショップとか攻略本編集者にはちゃんと取材をしているんだから、ゲーム開発現場の事を書くならちゃんと取材しなさい。取材出来なかったなら出来なかったその範囲で記事を書きなさい。そうでなければ書くな。

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でもって、金曜日も確認仕事で日が暮れ…るはずだったのだが、内緒で進めている社内インディーズ企画の件で、急遽大学時代の友人でSEの人と会う事に。とはいうものの、会えたのは9時頃で、酒飲みながら「タダ働きしてくれ」とひでー事をお願いしたりする。その後、話は多方面におよび、いつもながらの「日本はもうダメだ」って結論になって11時過ぎに解散。